礼拝説教 2010年 1月17日

「 お言葉どおり、この身に成りますように 」

ルカによる福音書 第1章26~38節

原田史郎牧師(代務者)

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 待降節 (アドベント) の頂点というべき出来事、 それは、 この受胎告知と言われるマリアに起こった出来事です。 K・バルトの言葉を引けば 「ここにいるのは、 ひとつの民を約束として与えられたアブラハムにまさる者であります。 ここにいるのは、 遥かに約束の地を望むことができたモーセにまさる者であります。」
 即ち、 アブラハムに神は約束されましたが、 彼はその成就を見ることは出来ませんでした。 モーセも荒野にあって、 遠い約束の地を望み見つつ、 昼は雲の柱、 夜は火の柱に導かれましたが、 その真の実現を見ることは出来ませんでした。
 しかし、 マリアに起こったことは、 アブラハム、 モーセにとどまらず、 旧約の全ての予言者や証人が待ち望んでいたことの成就であります。 わたしたちは今、 確実に新約の新しい救いの歴史の入口に、 マリアと共に立っているのであります。
 天使ガブリエルがナザレの一女性マリアに現れ告げました。 「おめでとう、 恵まれた方。 主があなたと共におられる。」 「おめでとう」 という原語には 「喜びなさい」 という意味があります。 そして、 今この言葉は、 神の側から呼びかけられました。 そのこと自体が祝福に満ちていますがこの祝福は、 わたしたちの努力で到達出来るものではありません。 神の選びがあるから祝福なのであります。
 それ故、 マリアは真に 「恵まれた方」 と言われるのです。 神の守りと導きがあり、 神が目を留め、 彼女を用い給います。
 だが、 マリアはこの言葉に戸惑い考え込んでしまいます。 彼女の中に大いなるトラブルが起こりました。 果してどういうことなのであろうか、 彼女は、 迷路の中に迷い込んだように、 この呼びかけをどう受け止めるべきか、 恐れと戸惑いの中に彷徨 (ほうこう) したのです。
 すると天使は、 マリアの思いを超えた驚くべきメッセージを伝えます。 「あなたは男の子を生む。 その子をイエスと名付けなさい。 その子に神はダビデの王座を与え、 永遠にヤコブの家を治める。」
 考えてもみて下さい。 ナザレの寒村の名もなき一いち乙女おとめが、 ある日突然イスラエルの民が祈り待望していたメシアを、 このわたしの身に宿す、 ということを。 またマリアは、 ヨセフといいなずけでしたから、 当時の考えでは、 妻として法的に認められる立場にありました。 結婚前に子を宿すことは、 大きなスキャンダルであり、 命に懸わることでもあります。
  「どうして、 そのようなことがあり得ましょうか。 わたしは男の人を知りませんのに。」 と彼女は問います。
 天使は、 この全ての出来事は聖霊が降り、 神の力が包むことによって成就する、 と告げます。 天地創造のとき 「地は混沌であって、 闇が深淵の面にあり、 神の霊が水の面を動いていた。」 (創世記一一) とあります。 神は聖霊によってみ業を起こし、 働き、 無から有をも造り出すのです。 「光あれ」 という神の言葉は、 聖霊によって実現します。 そして聖霊は、 マリアを危険からも守るのです。
 マリアに起ころうとしていることの先駆けは、 既に、 彼女の親類エリサベトに起こっていることも告げられます。 このことは、 マリアに大きな励ましになったことでありましょう。 そして更に、 マリアを一押ししたのは次の言葉でした。
  「神には出来ないことは何一つない。」 この言い方は、 「出来ない」 という不可能性を 「~ない」 と更に否定しています。 否定に傾くのはわたしたち人間の性向です。 神さまが道を開き、 ご計画をもって導こうとされるのに、 わたしたちは自分の能力や力を計って、 何だかんだと言って動くことをしないのです。 どうしてもマイナス指向になり、 動けないのです。 詩篇二十三篇に 「主は羊飼い、 わたしには何も欠けることがない。」 とあります。 わたしは長いこと、 何で 「何でも持っている」 と言わないのであろうか、 と思っていました。 しかし、 この聖句を味わえば味わう程 「欠けることがない。」 という表現の深さに気付かされました。 最も基本的な必要に対して、 神さまの配慮と摂理は万全なのであります。
 マリアは、 この言葉の前に砕かれます。 今迄、 自分を中心に考え、 自分の主権を第一にしていた所から、 神に明け渡し、 神の主権を第一にしたのです。 「お言葉どおり、 この身になりますように。」 これは神のロボットになることではありません。 マリアの祈りと信仰に、 神さまが働かれ、 祝福し、 この決断へと導かれたのであります。 主イエスをお迎えするとき、 わたしたちの覚えることであります。

 

(2009年12月13日礼拝説教)

 

月報「あかしびと」第466号 巻頭言

 

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