礼拝説教 2009年12月13日

「 感謝にみちて 」

ルカによる福音書10章38節~11章4節

原田多恵子牧師 南房教会

教会の言葉 一覧へ戻る

 今日は教団の暦では、 収穫感謝日謝恩日であります。 又、 東中通教会では、 後任牧師も決まり、 バザーも盛大に催され、 喜び、 感謝でみたされておられることであります。
 今日の箇所は、 パウロが小アジアで伝道して、 次々と教会が生まれている時、 聖霊に小アジアでの伝道を禁じられ、 又、 幻でマケドニア人から 「マケドニア州に渡って来て、 わたしたちを助けてください」 と言われて、 今でいえばトルコからヨーロッパに渡って、 最初に伝道したフィリピ教会に感謝した手紙を終らせるところであります。
 東中通教会もパーム先生が新潟に来られて、 最初につくられた教会であります。 パウロはここで何を言っているのでしょうか。 それは自給伝道をモットーに励みましたが、 フィリピの教会だけが物心両面で助けたことを深く感謝しています。 東中通教会も、 新潟を中心とした関東教区の中で率先して献金しています。 その精神は大切で、 いつまでも守って頂きたいことです。 新潟の人は概して、 つつましくあります。 自分のことはおいても献げ助け合うことを喜び、 誇りにしてきました。
 パウロの伝道は、 主イエスに倣って、 すべて犠牲を払って、 弱きを助けて救いに導く働きでした。 時には困難を極め苦しい時もありましたが
フィリピ教会の援助がどんなに助けになったことか、 他の教会の真似のできないことでした。 しかし、 パウロは貧しきにも富めるにも 「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。 わたしを強めてくださる方のお陰で、 わたしにはすべてが可能です。」 (12節-13節) と言っています。 ということは、 人や自分の力、 知恵ではなく、 神から力、 知恵を与えられているからと、 神に感謝しています。 それからフィリピ教会に感謝しています。
 又、 人を助けることは 「あなたがたの益となる豊かな実を結ぶ」 ことだと言っています。 そして、 「わたしの神は、 御自分の栄光の冨に応じて、 キリスト・イエスによって、 あなたがたに必要なものをすべて満してくださいます。」 (19節) と最後に結んでいます。
 ヤコブの手紙には 「あなたがたのだれかが、 彼らに 『安心して行きなさい。 温まりなさい。 満腹するまで食べなさい』 と言うだけで、 体に必要なものを何一つ与えないなら、 何の役に立つでしょう。 行いが伴わないなら、 信仰はそれだけでは死んだものです。」 (2章16節-17節) とあります。 「愛の伴わない口先だけの信仰は無意味だ」 ということです。
 ピューリタンが、 アメリカ大陸に信仰の自由を求めて上陸した最初の年は、 大変で半数の人が寒さと飢えで死んだ時、 先住民のインディアンの人たちが種をわけ与えて、 次の年、 収穫を得ることができたことを感謝したのが、 収穫感謝祭の始まりであることは誰も知っていることです。
 私はつい先日、 南房教会員の小平姉から故小平尚道牧師の 「アメリカの強制収容所」 という御本を頂きました。 戦前、 日本が真珠湾攻撃をしたので、 日本人はアメリカの各地で収容所に抑留されました。 その中から、 かの有名な二世部隊がヨーロッパ戦線で活躍したことや、 砂漠のような処で、 何もなく苛酷な生活を強いられたのは、 「卑劣なアメリカ人」 が西海岸で営々と勤勉に働いた日本人を陥れるためにした政策であったということ、 一方冷静で愛にみちたアメリカ人、 教会が折々に助けの手を伸べてくれたので息を吹き返したこと、 両方があることを知りました。
 今日は又、 謝恩日でもあります。 私共は二〇年、 東中通教会にご奉仕でき、 通算40数年働かせて頂いておりますが、 教団の隠退教師の中には50年以上、 奉仕された牧師が多くいらっしゃいます。 「教団新報」 をお読みになると、 その先生方の感謝のおことばが載っています。 謝恩日献金、 百円献金による年金を皆さん頂いて感謝しておられます。
 この時代は、 世界中で経済不況による問題が山積しています。 職を失う人、 就職できない若い人たち、 中高年の人たち、 大変酷しい状況にあります。 「キリスト教会やイスラム教は不寛容で仏教は心が広い」 と小沢一郎さんは広言していますが、 とんだ間違いを云っていることに抗議をしたと聞きました。
  「献げる、 助ける精神」 はキリスト教から始まりました。 それは神が最愛の独り子イエス・キリストを私共のために送ってくださったからです。 神の賜物です。 今、 困難なこの時代私共の与えられた恵みを最大限に生かして、 助け合うことができますように祈り願います。

 

(2009年11月22日礼拝説教)

 

月報「あかしびと」第465号 巻頭言

 

教会の言葉 一覧へ戻る