礼拝説教 2009年11月 8日
「 一皿をささげる 」
今朝は、 聖書に続いて記されている二つの物語、 「マルタとマリアの物語」 と 「弟子たちが祈りを求める物語」 を一緒に読みます。 それぞれに大切な物語ですが、 重ね合わせることで気付くことがあるからです。
主イエスのもとに近づく
両方に共通する第一のことは、「主イエスのもとに近づく」 ことです。 マルタは主イエスの 「そばに近寄って」 (10章40節) 言いました。 弟子たちも 「主よ、 わたしたちにも祈りを教えてください」 (1節) と、 きっと近寄って尋ねたに違いありません。
私たちは自分の抱えている問題について、 「こんなことをイエス様に言っても良いだろうか」 などとためらってしまうことが多いと思います。 しかし、 大事なことは、 それが何であろうと、 とにかく主イエスのもとに持っていくことです。 マルタも、 弟子も主イエスのところに自分の問題を持って行きました。 主イエスはそれを喜び、 誠実に答えてくださいます。 主イエスは 「しつように頼め」
(11章8節) と言われます。 「求めなさい、 探しなさい、 門をたたきなさい」。 神はあなたがたに必要なものを与えてくださる。 どんな時にも、 どんなことであっても、 私たちは主イエスに近寄って行くことが許されている。 主イエスに近づく人は幸いである。 これが今日、 私たちが学ぶ第一のことです。
私たちに必要なこと
二つの物語のもう一つの共通点は 「必要」 という言葉です。 「必要なことはただ一つだけ」 (10章42節) と主イエスはマルタに言われました。 主イエスは弟子たちに 「必要な糧を毎日与えてください」 (11章3節) と祈ることをお教えになりました。 「あなたにとって本当に必要なことは何であるのか」。 今日、 主イエスがお尋ねになるのはこのことです。
「マルタとマリアの物語」 に目を向けて見ましょう。 マルタはいらだっています。 自分だけが忙しく働き、 マリアは座りこんでいる。 「何とか言ってください」 と、 マルタは主イエスに指図までする始末です。
ふつうの説明はこうでしょう。 マルタは間違っている。 忙しく働く行いでなく、 マリアのようにみ言葉に聞くことこそが大切なのだ。 「マリアは良い方を選んだ」 (42節)。 このエピソードの直前に 「良きサマリア人」 のたとえがありますが、 そこでは聞くだけでなく、 行うことこそが重要だと言われていますので、 ちょうどバランスがとれているとも思われるのです。
しかし、 今朝はちがう読み方をしたいと思います。 マルタ的生き方とマリア的生き方を比較して、 どっちが良いかと考えるのではない読み方です。 そう考える一つの理由は、 ここでマリアが一言も声をだしていないことです。 これは 「マルタとマリアの物語」 ではなくて、 「マルタと主イエスの対話の物語」 ではないでしょうか。 マルタが主イエスに訴え、
主イエスがまっすぐに答えてくださった物語なのです。
「マルタ、 マルタ、 あなたはあれこれ気づかい、 心配してくれている。 必要なことは人それぞれだよ。 マリアは自分にいいほうを選んだのだ。 それを取り上げてはならない」 (本田哲郎神父訳)。 思い悩むマルタに向かって主イエスは 「あなたは、 あなたの一つを大切に生きなさい」 と、 叱責ではなく、 愛をもって語りかけてくださいました。 マルタに向かって主イエスは 「一皿で良いのだ」
と言ったのだと、 矢内原忠雄は説明しています。
主の祈りの力
「マルタとマリアの物語」 との関連で言うならば、 主の祈りが 「私の祈り」 ではなく、 「私たち」 の祈りであることに注目しましょう。 「私だけが、 私だけが」 と思い詰めている私たちを、 主の祈りは本当の意味で 「私たち」 に作り変えてくださるのです。
マルタは 「わたしだけが」 (10章40節) といらだっています。 しかし、 「そうではないよ」 と、 主イエスは言われます。 よく考えてください。 主イエスをもてなしていたのはマルタだけだったのでしょうか。 マリアもまたマリアのやり方で、 主イエスを 「もてなし」 をしていたのではありませんか。 マルタはマルタの 「ただ一つの必要なこと」、 一皿を差し出す。 マリアはマリアの
「ただ一つの必要なこと」 を一心に果たす。 こうして私たちは 「わたしだけが」 の世界から、 「わたしも、 あなたも、 そして私たちは共に主の前に」 の世界へと導き入れられていくのです。 祈りのうちに主の前に進み出る時、 私たちは兄弟姉妹として結ばれます。 主イエスに一心に目を向け、 進み出ることにおいて、 私たちは深い仕方で 「わたしたち」 と言うことが出来ます。 感謝をもって、
この朝も世界へと歩み出してまいりましょう。
(2009年10月 4日礼拝説教)
月報「あかしびと」第464号 巻頭言