礼拝説教 2009年 9月13日

「 互いに平和に過ごしなさい 」

テサロニケ第一の手紙、5章10~28節

大澤秀夫 敬和学園大学宗教部長

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 先週、 初めて佐渡に出かけて石をひろってきました。 といっても金鉱石ではありません。 一泊二日の牧師研修会の後、 すこしだけ島をまわる時間があったので、 佐和田から相川にぬける峠の上にあるキリシタン塚を訪ね、 帰りの山道で小さな石をひろいました。 ここで殺された120人のキリシタンを思い起こすよすがとして、 何かを持って帰りたいと切実に思ったからです。 およそ400年ほど昔、そこに生きて死んだのは、 どのような人々、 そして共同体、 教会であったのでしょうか。
 喜びと感謝の手紙
 テサロニケの教会は生まれたばかりの教会です。 使徒言行録十七章によると、 この教会はパウロの伝道により誕生しましたが、 まもなくパウロはテサロニケを離れざるをえなくなりました。 不安と心配の中にあったパウロのもとに、 テモテを通して彼らが熱心に信仰生活をまっとうしていることが知らされます。 こうしてパウロが喜び、 感謝して書いたのが、 この手紙です。新約聖書の中で一番最初に書かれた文書だと言われます。
 互いに平和に過ごしなさい
 パウロが、 テサロニケの人々に望んだことは 「互いに平和に過ごす」 (十三節) ことでした。 この勧めは 「教会を導いている人々を重んじ、 尊敬する」 ことと、 「気落ちしている者や弱い者を励ます」 ことに挟まれています。 つまり、 迫害や苦難の中にある教会にはいろいろな人たちがいるのです。 迫害する者たちの矢面に立って、 勇気をもって信徒を導く人や、 黙々と兄弟姉妹を担う人がいる一方で、戦列から落ちていってしまう人 (怠けている者たち) そして、 気落ちする者や弱い者もいることでしょう。
 佐渡のキリシタンたちのことを思うとき、 あの困難な時代に彼らがどのようにして信仰を持ち続けることができたのだろうかと、 気の遠くなる思いがします。 密かに島に渡り、 ミサを立てた神父のいたことが知られています。 どんなに大きな慰めだったことでしょうか。 その神父は後に殉教したことが伝えられています。
 平和に過ごすとは単に仲良くすることに留まりません。 互いに尊敬し合い、 強さも弱さをも含めて共に生きて行く。 困難な時代の只中を、 担い、 担われつつ、 キリストの平和を生きていくのです。
 喜び、 祈り、 感謝する
 キリストの平和を生きる力は、 どこから来るのでしょうか。 その秘訣が十六節です。 それはパウロが実際に生きる中でつかみとった真実でした。 その証拠に、 この手紙そのものが喜びと祈りと感謝で始まっています。 「わたしたちは、 祈りの度に、 あなたがたのことを思い起こして、 いつも神に感謝しています」 (一章二節)。 「あなたがたはひどい苦しみの中で、 聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、主に倣う者になりました」 (一章六節)。
 喜べないことを無理に喜びなさい、 と言うのではありません。 しかし、 どんな時にも、 「目覚めていても眠っていても、 主が共に」 (五章十節) いてくださいます。 そこに私たちの喜びのもとがあります。 私たちの内に燃えている 「聖霊の火を消してはいけません」 (十九節)
 キリストの来られる日に
 パウロは祈りで手紙を結んでいます (二十三節以降)。 平和の神があなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。 キリストの来られる時、 神はあなたがたを非のうちどころのない者としてくださるでしょう。 なぜなら神は真実な方だからです。 初めの教会の信徒たちの眼差しは今日、 明日ではなくて、 はるかな、 キリストとお会いする日へと向けられていました。
 あの四百年前に殉教した無名のキリシタンたちは、 どこに目を向けて、 その生涯を終えたと思いますか。 もちろん彼らは今、 こうして新潟で礼拝をささげている私たちのことを知っているはずもないのですが、 でも彼らの眼差しのひろがりの中に、 私たちがいると考えても決しておかしくはないでしょう。
 時空をこえた祈りの内に
 手紙の終わりに至って、 パウロは 「兄弟たち、 わたしたちのためにも祈ってください」(二十五節)と頼んでいます。 パウロはテサロニケの教会のために日夜祈り続けていました。 けれども同時に、 パウロは自分もまた祈られることなしには立ち行くことはできないということをよく知っていました。 ここには時空をこえた祈りの共同体、 キリストにつながる共同体が立ち現われています。 「兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください」。 これはパウロの祈りであり、 四百年前のキリシタンたちの祈りです。 そして、 私たちの祈りでもあります。 祈りに結ばれて、 キリストの日に向かって歩み続ける、 私たちは神の民の共同体です。

 

(2009年 8月 2日礼拝説教)

 

月報「あかしびと」第462号 巻頭言

 

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