礼拝説教 2009年 8月 9日

「 愛ってすごい 」

エフェソの信徒への手紙 2章14~21節

信田 智 敬和学園高等学校寮長

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愛ってすごい
 愛ってすごいと 鐘が鳴る

 

君を変えた
 そして僕を変えた 鐘が鳴る

 

素晴らしい鐘よ
 未来に向かって 鳴り続けよ

 

 何度も何度も失敗を繰り返し、本当に手を焼かせた一人の生徒がいた。我々がいくら指導してもだめで、岩手県奥中山にある、ちいむれ牧場(カナンの園と言う大きな福祉施設を辞め、福祉の原点に返って作った小さな施設)の渡部さんに委ねて面倒を見ていただいた。彼はいつも親が悪い、環境が悪い、誰も自分の事なんか分かってくれない、誰も自分を愛してくれる人なんかいない。そう思って心も生活も荒れていたのです。しかし、ちいむれ牧場で一緒に暮らしていくうちに、世の中には本当に孤独な人や、大きな苦しみを負っている人がいることに気付いていきます。
 そして、マザー・テレサさんの言われた「この世でもっとも悲しむべき不幸は、病気でも、貧困でもなく、誰からも愛されない孤独であり、誰も愛する人がいない孤独である。」という言葉に目覚めていきます。すると、自分がいかに親から愛されてきたか、教師や周りの人たちから愛され、守られてきたかが分かってきた。そうしたら、自分がいかにでたらめをしてきたか、そんな自分のことを、なお心配し、愛してくれる人がいるのに、自分は何て愚かなことをしていたのかと気付いて、変わっていきました。その生徒のことを前校長榎本栄次先生が三浦綾子さんにお話ししたところ、その場でこの詩を書いてくださったのです。
 むかし流行し、結婚式などによく歌われた歌がありました。「愛あなたと二人 夢あなたと二人 二人のために世界はあるの」という歌です。このような愛は二人の間でどんなに燃え上がったとしても、いや、熱く燃え上がれば燃え上がるほど、礼儀と、節度を失った自己満足の世界に入ってしまい、周りが見えなくなっていきます。おそらく、このような愛を有島武朗は「愛は盲目である。」(周りを見えなくしてしまう)と言ったのでしょう。
 その対極にあるのは「二人は世界のためにある」という愛のあり方です。それは、自己満足の世界ではなく、他者の必要に目が開かれ、そのために自分たちをささげていくような、広く深い愛の世界です。「愛は他者の必要に目を開く」のです。すなわち、愛とは自分にとって心地よい感情的、感覚的な世界だけはなく、極めて意志的、継続的努力によって切り開いていく世界でもあるのです。他者の必要に目を開くためには、意志的、継続的努力なくしてはできません。
 第Ⅰコリント13章「愛は忍耐強い。愛は情け深い。・・・礼を失せず、自分の利益を求めず、・・・不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。」これは、まさに意志的、継続的努力無しには在り得ない愛の世界です。
 マザー・テレサさんは、路上に行き倒れ、誰からもかえりみられず見捨てられ、死んでいく人たちを引き取って、あなたもこの世に生まれてきた意味があるし、愛されているのですと伝え続け、人生最後のケアーをする働きをされた。
 また、M・Lキング牧師は黒人解放運動の指導者として、自分たち黒人を人間扱いしないで苦しめ、横暴の限りを尽くす白人に対して、徹底して善をもって立ち向かう、キリストの愛の実践に生きました。「白人は我々の敵ではなく、我々の兄弟である。」兄弟が悪いことをしているのであれば、その間違いを正してあげなければならない。「汝の敵を愛せよ」と説き続けました。
 キング牧師の働きと夢は引き継がれ、黒人の公民権は一つひとつ獲得されていった。しかし、キング牧師は1968年、白人の凶弾に倒れた。その後、黒人解放のエネルギーは高まり、今やアメリカ初の黒人大統領の誕生にまで至った。
 憎しみからは何一つ生産的なものは生み出されない。しかし、愛は人を変える。愛こそが新しい世界を作る力である。愛ってすごい。その愛の極みであるイエス・キリストの十字架こそは、人を変え、私を変え、世界を変える力なのです。

 

(2009年 7月 5日礼拝説教)

 

月報「あかしびと」第461号 巻頭言


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