礼拝説教 2009年 6月14日

「 愛国ではなく愛の国をめざして 」

マタイによる福音書22章34~40節

小西二巳夫 敬和学園高等学校校長

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 「憲法9条を世界遺産に」という本の中で、日本国憲法の成り立ちについて著者の太田光は中沢新一という学者と対談しています。対談の中で、日本の憲法は偶然が重なってできた「奇跡」だといっています。日本の敗戦によって戦争が終わったとき、15年も続いた戦争に嫌気がさしている日本人の感情がピークになり、それと同時に日本を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が瞬間的に重なった、そのように人間の思惑、次元を超えて出来た憲法9条を「奇跡」だというわけです。
 キリスト教では奇跡を神の力が働いたと表現します。「偶然が重なって」を、そこに見えない神の意志がしっかり働いたと考えます。日本の平和憲法、とりわけ9条は、そこに平和を望まれる神様の導きと働きがあったということになります。2006年の11月に今の憲法と同じ時期1947年に作られた教育基本法が改正されました。戦争に行って死ぬことがお国のためになる、それが国を愛すること、と小さいときから、学校、教育の現場で教え込もうとの狙いをもって、改正されたのです。愛国心というと、賛成する人も反対する人も「お国のために死ぬ」ことだと思い込んでいます。そこで思い出されるのが内村鑑三の言葉です。1898年の万朝報という新聞に、内村鑑三は「愛国心」について次のように書きました。「かつて愛国心が現在のごとく声高に我国人によって叫び回られたことなし。愛国心の名において軍備急務を求むる叫号なり。我国の教育制度は愛国心に訴えるその声の極端なりしがゆえに腐敗せり。愛国心は「自然の感情」にして、皮膚の色のごとく脱ぎ去るにあたわざるものなり。無言に畑を耕す農夫、勤勉に読書にいそしむ学生は愛国心を説くことを職業とする人々よりはるかに愛国者なり。しかして、愛国心とは隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、勤勉にして謙遜にして鄭重なること、等などは、われらの見るところによれば国家の拡大を策し我国民の美徳を誇る以上に愛国的なり。日本が大いに必要とするものは、深き無言の無意識なる愛国心にして、今日の騒々しき愛国心にあらざるなり」。内村鑑三は、愛国心というのは国家というものを愛することでもなく、国のために死ぬことでもない、と言い切りました。それは隣人や弱い立場の人々と共に生きようとすることだというのです。そして愛国心を育てる前提として、一人ひとりの考え方を大切にするものでなければならない、押しつけがあってはならないと言いました。
 この考え方は今日の聖書マタイによる福音書のイエス様の言葉に立ったものです。イエス様は「神様を愛すること、隣人を愛すること、人間としてこれに勝るものはない、勝る生き方はない」と断言されています。
 イエス様の言葉の中に本当の意味、深い意味での愛国心があるということです。イエス様の言葉と内村鑑三の「貧しき者乏しき者に同情すること、勤勉にして謙遜にして鄭重なること、等などは、われらの見るところによれば国家の拡大を策し我国民の美徳を誇る以上に愛国的なり」を具体的に表したのが「何が起こっても戦争はしない。物事を武力で解決しない。武器は永久的に放棄する」という憲法9条だということに気付かされます。
 今キリスト者に切実に求められるのは、狭い意味の愛国心に惑わされるのではなく、讃美歌412番のようなあり方です。愛国心が声高に叫ばれる時代というのを3番が良く表しています。「時代の風は、吹きたけりて、思想の波は騒ぎ立てど」とはまさに私たちが生きている今の日本でしょう。
 そういう状況だからこそ、2番にありますように、歴史的反省をしながら、そして自らの弱さを悔い改めつつ「主イエスの建てし 愛の国」を求めること、それを周囲の人に、一人でも多くの人に伝えていく働きに参加することがキリスト者に求められています。そこに私たちの弱さや思いを超えてなおある「主イエスの国は 永久に栄えん」という幻が与えられているのです。一人ひとりの人格や命が奪われやすい時代だからこそ、十字架のイエス様の導きと救いにゆだねつつ、私たちの人格や命を根本のところで守っている憲法9条を守ることから目を背けることはできません。憲法9条を真剣に考えた生活、神様のメッセージを大切にするところに、キリスト者がこの世に立つべき場所があります。

 

(2009年 4月19日礼拝説教)

 

月報「あかしびと」第459号 巻頭言

 

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