礼拝説教 2009年 3月29日

「 喜び、祈り、感謝 」

イザヤ書第43章1~4節、テサロニケ一第5章16~24節
原田史郎牧師

教会の言葉 一覧へ戻る

 聖書の中には、 信仰の三和音と呼ぶことが出来る三点セットの表現がいくつかあります。 信望愛は、 その代表的なものですが、 このテサロニケ五章の、 喜び、 祈り、 感謝も和音と言えるでしょう。 もっとも、 パウロは、 ここで七つの勧めをしているのですが、 最初の三つが、 キリスト者に最も愛誦されているものです。
 第一は 「いつも喜んでいなさい」 と勧めます。 パウロは、 テサロニケの人々の信仰は 「ひどい苦しみの中で、 聖霊による喜びをもって、 御言葉を受け入れた」 (1:6) ものであったと言います。 順境のとき、 人は素直に喜ぶことが出来ます。 だが、 逆境のとき、 物事がうまくいかないとき、わたしたちは喜ぶことが出来るでしょうか。多分、出来ないことでありましょう。
 では、 どうして喜ぶことが出来るのでしょうか。 その根拠は、 わたしたちが、 主に救われ、 主のものとされていることにあります。
 イザヤは、 次のように主のみ言葉を語りました。 「恐れるな、 わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ」 (イザヤ43:1) 十六世紀のプロテスタント教会の標準的信仰問答といわれるハイデルベルク信仰問答は、 有名な次の質問から始まっています。
  「生きているときも、 死ぬときもあなたの唯一の慰めは何ですか」 この問いの答えは 「わたしが生きているときも、 死ぬときも、 わたしの唯一の慰めは、 わたしがわたしのものでなく、 イエス・キリストのものであるということです」
  「あなたは、 わたしのもの」 ここに、 わたしたちの全ての喜び、 慰め、 生きる勇気の源があります。 このことを真に知るとき、 いつも喜んでいることが出来るのであります。
 次にパウロは 「絶えず祈りなさい」 と勧めます。 この手紙で、 使徒は、 祈りの経験から書き始めました。
「わたしたちは、 祈りの度に、 あなたがたのことを思い起こしている」 (1:2) と言い 「夜も昼も切に祈っています」 (3:10) と語った。 パウロは、 そのまま祈りの言葉を書き続けました (3:11~13)。
 祈りは、 神様との対話であり、 信仰生活の呼吸であると言われます。 主イエスは、 こう言われます。 「二人また三人が、 わたしの名によって集まるところには、 わたしもその中にいるのである」 (マタイ18:20)。
 祈りは、 まさにこの神さまの臨在の場なのです。 いつもは、 自分の都合を優先し、 自分勝手に動いてしまうわたしたちが、 祈りによって、 主のご臨在の中に入り、 主のみ心を問い、 み言葉を通して導きをいただくことが出来る。 それが祈りなのです。
 そしてこの祈りの確信は 「あなたが水の中を過ぎるときも、 わたしはあなたと共にいる」 (イザヤ43:2) という主のお約束です。 「川を渡るときも押し流されない」 激流の中でよく人は流されます。 しかし、 主はしっかりとわたしたちの手を取り、 支え、 守って 「あなたは押し流されない」 と言われるのです。
 祈りを止めることは、 信仰の外堀りが埋められることでもあります。 何故なら、 サタンが一番恐れ、 震えるのは、 キリスト者の祈りだからです。 主が共にいてくださる、 ここにわたしたちが、 絶えず祈ることが出来る秘訣があるのです。
 最後に、 パウロは 「どんなことにも感謝しなさい」 と言い 「これこそ、 キリストイエスにおいて神があなたに望んでおられることです」 と勧めます。 祈りは感謝に結びついています。 「祈りの度に、 あなたがた一同のことをいつも感謝しています」 (1:2) と書いたことでした。
 イスラエルの民に、 神はこう言われました。 「わたしの目にあなたは高価で尊い」 自信を喪失し、 希望を失っていた民に、 神は高価であると宣言されました。 何故高価なのでしょうか。 それは 「わたしはあなたを愛している」 (イザヤ43:4) からに他なりません。わたしたちの目で自分を見るなら欠けた土の器以上の何者でもないでしょう。
 先日、 サンローラン氏のコレクションがオークションに出ました。 約四六〇億円になるものでした。 これに較べると、 神に背いた民は、 何の価値もないかけらのようなものです。
 しかし、 神は、 愛するが故に、 わたしたちを、 何者にも替えがたい高価なものだと言われるのです。 そして、 ついには、 その愛する独り子、 イエスキリストをわたしたちの罪からの救い主として十字架につけ給われたのです。
  「あなたがたをお招きになった方は、 真実で、 必ずそのとおりにしてくださいます」 この招きに信頼しましょう。

 

月報「あかしびと」第457号 巻頭言

 

教会の言葉 一覧へ戻る