礼拝説教 2009年 1月25日

「 宣教の開始 」

マタイによる福音書4章12~17節

原田多恵子牧師

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 本日の教団教会暦では「宣教の開始」となっております。
 主イエスはクリスマスに「真の神」が「真の人」となって、この世に降ってくださいました。今尚クリスマスの喜び、感謝を味わっておりますが、ヨセフを父とし、マリアを母とする家庭で普通の人としてお育ちになったことを、先月のいずみの会で学びました。神と人とに愛されて成長され、30歳になられるまで、ユダヤ人として生活し、ヨセフ亡き後、長男として弟妹の養育の責任も果たされ、いよいよ時が至って、使命の道に一歩踏み出されます。
 ユダヤ人は悔い改める時はメシアの到来の時として信じていたそうですが、バプテスマのヨハネが「道備えをする者」として登場、ユダヤ全土で「罪の悔い改め」を迫りましたら、「ファリサイ派、サドカイ派の人々が、洗礼を受けに来た」とあります(マタイ3:7)。その時、主イエスも「罪を犯されなかったがあらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(ヘブライ4:15)ように、固辞するヨハネから洗礼をお受けになりました。
 その後、「悪魔から誘惑を受けるため、"霊"に導かれて荒れ野に行かれ」(4:1)、誘惑にみ言をもって勝利されました。すると「天使たちが来てイエスに仕えた」(4:11)とあります。いよいよ使命の道に立つべく準備を40日間、ユダの荒野で全うされました。野獣が共にいたともあります。天から導き、応援を得てスタートされます。ヨルダン川で洗礼を受け、ユダの荒れ野で準備期間を終えられた頃、バプテスマのヨハネが弾劾され捕らえられたと聞いて中央地帯から北のガリラヤにお戻りになりました。故郷ナザレでは受け入れられず、ガリラヤ湖畔のカファルナウムに落ち着かれます。ガリラヤは広大な丘陵地で果物など豊富で農産物、ガリラヤ湖の漁業に恵まれ貿易のルートにあります。北と東にシリア、西はフェニキア、南はサマリアに囲まれた緑豊かな土地です。人々の気質はその昔、アッシリアに捕囚になった際、異邦人の血が混ざったり、紀元前8世紀から二世紀の間は殆ど外国に支配されていたので、古いものに縛られているユダヤ人と違って、熱情たぎる独立心旺盛で、新しいものに敏感なのだといわれていました。ガリラヤはパレスチナの中で、新しい教えを説く新しい教師を受け入れる唯一の場所となっていたということです。そのことをイザヤは、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ」と預言しています(マタイ4:15、16)。イエスにとって格好のスタートラインでありました。バプテスマのヨハネによって悔い改めがなされ、アレキサンダー大王のギリシア化によって、新しい福音が伝わるために準備がなされていました。神が備えられた時が到来しました。
 今、アメリカはオバマ大統領の就任で希望に溢れ、先のブッシュ政権の傲慢な一国主義の行き詰まりを打破しようとしています。オバマ大統領の冷静で謙遜な姿勢が前途多難な道を切り開こうとしています。
 若き青年イエスは、罪と堕落に陥っている世界を福音の光で変革せんと歩み出されます。ローマの支配下にある誇り高きユダヤ人は、メシアを待望していました。「神の時」がいよいよ到来しました。神よりの召命に応えて、従順に従われる主イエスは「悔い改め」のメッセージを語り始められます。バプテスマのヨハネは「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方はわたしよりも優れておられる。わたしは、その方の履き物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」といっています(3:11)。同じ罪を犯しても、悔い改めるのと悔い改めないのでは大きな違いがあります。「悔い改めて、罪を許されることの幸い」を想います。森永製菓創始者森永太一郎の墓に「われ罪びとの中、首なり」と刻まれているそうです。若き日に罪を犯したことが解決されず、成功しても生涯心に残っていたようで、クリスチャンとしての生き様を表しています(朝日新聞1月24日掲載)。
 異邦人の地ガリラヤから宣教が開始され、二千年が経ちました。「悔い改めよ、天の国は近づいた」との主イエスのメッセージを全世界に伝えるに多くの青年が宣教師として働かれたことが、新潟聖書学院院長中村 敏先生の著書『世界宣教の歴史-エルサレムから地の果てまで』に記されています。一読の価値があります。

 

月報「あかしびと」第455号 巻頭言

 

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